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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第36回目は古代ローマの歴史「第1回三頭政治」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
紀元前60年、元老院が支配する体制の限界を感じたカエサルは、ポンペイウス、クラッススと手を組み第1回三頭政治を開始した。しかしクラッススがパルティア遠征で死亡すると、パワーバランスが崩れる。
ガリア遠征でカエサルがローマにいない間にポンペイウスは元老院と和解する。国家反逆罪で裁判にかける知らせを受け取ったカエサルは、遠征軍を解散せずにルビコン川をわたりポンペイウスを倒す。
その後、独裁官をはじめとする要職を独占し、元老院を無視して改革を行ったため前44年に暗殺された。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第35回目は古代ローマの歴史「グラックス兄弟と内乱の1世紀」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前2世紀後半、護民官に就任したグラックス兄弟は市民軍の再建を目的とした改革を行う。
貴族による土地占有を制限し、土地を無産市民に分配しようとしたが元老院の反対にあう。
改革が失敗に終わると「内乱の1世紀」に突入。貴族による閥族派のスラと無産市民に支持された平民派のマリウスが指導権をめぐって対立する。
イタリア半島の同盟諸都市はローマ市民権を要求して同盟市戦争が勃発。また剣闘士(けんとうし)によるスパルタクスの反乱などローマへの反乱が続発した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第34回目は古代ローマの歴史「ローマ社会の変容」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
イタリア半島統一、地中海制覇とローマが拡大する中、イタリア半島以外の征服地は属州として直轄支配を行う。そこに赴任した貴族の中には、戦争捕虜を奴隷として使役したラティフンディアの経営に成功するものや、平民の中には属州での徴税請負で大きな富を得た騎士階級が出現した。
一方、重装歩兵として活躍した中小農民の多くは長期にわたる戦争で疲れ農地は荒廃、属州からの安価な穀物の流入により没落する。無産市民となって首都ローマに流入し、有力者は彼らに小麦や娯楽を提供して支持基盤を作る。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第33回目は古代ローマの歴史「カルタゴとの戦い」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前3世紀前半、ローマはイタリア半島を統一する。反抗を防ぐため諸都市とそれぞれ内容の異なる同盟を結ぶ分割統治を行った。その後、西地中海の覇権を巡りフェニキア人の植民市のカルタゴと衝突する。3回にわたるポエニ戦争は、カルタゴ側の将軍ハンニバルに苦しめられながらも、最終的にローマが勝利する。
前2世紀半ばにカルタゴは滅亡、さらにヘレニズム諸国も征服。前1世紀後半には地中海全域に領域を広げた。
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今後の配信についての2つご連絡があります。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第32回目は古代ローマの歴史「身分闘争」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
平民(プレブス)が貴族に対して政治参加を求めて身分闘争を起こした。前5世紀初めに平民の権利を守る護民官が設置され、平民会の議長を務めた。前450年ごろにはローマ最古の成文法である十二表法も制定された。
前367年には、コンスル2名のうち1名を平民から選出することを定めたリキニウス・セクスティウス法が、前287年には平民会の決議が貴族をも拘束する国法となることを定めたホルテンシウス法が成立し、身分闘争は終結する。
平民と貴族は法の上では平等となったが、執政官を務めた上層平民と貴族が融合して新貴族を形成し、元老院が指導権を維持し続けた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第31回目は古代ローマの歴史「共和政ローマの誕生」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前1000年ごろ、古代イタリア人が北方からイタリア半島に南下して定住する。ローマは前8世紀半ば、イタリア人の一派であるラテン人によりティベル川の東に都市国家として成立した。川の西に住むエトルリア人の勢力が強まり、一時期支配されたが前6世紀末に王を追放し、共和政が開始される。
最高政務官である執政官(コンスル)は任期1年で2名選出された。最高機関である元老院は300人。非常時には独裁官(ディクタトル)が任命された。
全ての官職を貴族(パトリキ)が独占したので、後に中小農民が重装歩兵として軍事力の主力となると対立するようになる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第30回目は古代ギリシア世界の歴史「マケドニア」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前338年、バルカン半島中央部のマケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテネ・テーベの連合軍を破り、ギリシアを制圧した。
フィリッポス2世はスパルタを除く諸ポリスとコリントス同盟を結成してギリシアの掌握に努めたが、暗殺された。
子のアレクサンドロス大王は前334年東方遠征を行い、アケメネス朝ペルシアを滅ぼして、ギリシアからインダス側の流域にいたる大帝国を建設した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第29回目は古代ギリシア世界の歴史「ポリスの衰退」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前431年、ギリシアではデロス同盟の盟主アテネと、ペロポネソス同盟の盟主スパルタの2強ポリスが対立してペロポネソス戦争が始まった。
アテネは全住民を城壁内に避難させたが、疫病が流行してしまう。指導者のペリクレスも疫病で死んでいる。その後、デマゴーゴス(扇動政治家)が台頭して、弱体化した。
いっぽうスパルタはペルシアの支援を受け優位にたち、前404年にペロポネソス戦争が終結する。長期にわたる戦争はギリシア全土を荒廃させ、社会の変化を招き、ポリスは衰えていった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第28回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネ民主政の完成」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前478年ごろ、ペルシアの再侵攻に備えデロス同盟が150のポリスで結ばれる。アテネを盟主とする軍事同盟で、本部はデロス島におかれた。前449年にペルシア戦争は終結したが同盟は維持された。
アテネではサラミスの海戦で三段櫂船の漕ぎ手として活躍した無産市民の発言権が増し、民会に成人の男性市民が参加する直接民主制が行われた。前443年から前429年にかけて古代民主政は最盛期を迎え、後にペリクレス時代と呼ばれた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第27回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネの英雄テミストクレスの追放」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
紀元前470年代、テミストクレスは陶片追放(オストラキスモス)に処せられる。陶片追放とは、クレイステネスの改革でつくられた仕組みで僭主の出現を防止する制度。僭主とは非合法的に政権を獲得した支配者を指す。僭主になる恐れがある人の名前を陶片に記入し、定足数6000票で最多得票者を10年の間、国外追放する。
サラミスの海戦を勝利に導いた英雄が僭主になることを市民が恐れた、もしくは政敵が仕組んだ罠かもしれない。いずれにせよ、陶片にテミストクレスの名が大量に刻まれアテネを追放される。テミストクレスを受け入れたのは、なんとアケメネス朝ペルシアだった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第26回目は古代ギリシア世界の歴史「ペルシア戦争」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前500年、アケメネス朝ペルシアとギリシアの諸ポリスとのあいだでペルシア戦争が始まる。きっかけはアケメネス朝ペルシアの支配下にあった小アジア西岸(せいがん)で起きた、ミレトスを中心とするイオニア諸都市の反乱だった。反乱を支援したアテネを含むギリシア全土を服属させるため、ダレイオス1世が遠征軍を派遣する。
前490年マラトンの戦いではアテネ重装歩兵軍が勝利。テミストクレスの政策により海軍を拡充し、前480年サラミスの海戦に勝利する。翌年のプラタイアの戦いではアテネ・スパルタ連合軍が勝利。3回にわたる戦争はアケメネス朝の敗北に終わった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第25回目は古代ギリシア世界の歴史「スパルタ」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ペロポネソス半島を征服したドーリア人は、先住民を隷属農民(ヘイロータイ)として農業に従事させた。スパルタ市民と隷属農民の人口比は1:10で、圧倒的に征服した側が少ない。リュクルゴスの制にしたがい男子は生産労働、商工業には従事せず、幼いときから厳しい軍事訓練を課された。
軍隊はギリシア最強と呼ばれ、アテネと違いスパルタにはアクロポリスも城壁もなかった。
市民間の平等を重んじ、貧富の差の元になる土地売買を禁止される。貴金属流入を阻止するため鎖国政策がとられた。
商工業には半自由民のペリオイコイ(周辺の民)が従事した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第24回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネその2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前6世紀半ば、貴族出身のペイシストラトスが僭主政を開始する。彼を支持したのは、政治に不満を持つ平民であり、僭主とは非合法的に政権を握った独裁者のことだ。中小農民を保護し、商工業を奨励するなどして平民の経済力上昇を図った。
しかし、彼の子が暴君化したため僭主政は一気に平民の支持を失う。前508年、貴族のクレイステネスは僭主の出現を防止するため、陶片追放(オストラキスモス)の制度を創設し、部族制の改革を行う。民主制の基礎を作った。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第23回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネその1」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
イオニア人の建設したアテネでは海港に恵まれ商工業が発展する。裕福な貴族が政治を独占し、債務を負って奴隷に転落する平民が後を絶たなかった。小アジアのリディア王国から貨幣が流通すると、貨幣を蓄えた富裕平民が武器を入手して戦争に参加。参政権を要求するようになり身分闘争が始まる。
前7世紀後半にドラコンが従来の慣習法を成文化、貴族が独占していた法を平民にも公開した。平民が没落すると軍事力が低下するので、前6世紀にソロンが債務奴隷を禁止、財産政治を断行した。しかし財産のある貴族の地位は揺るがず貴族と平民の対立は続いた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第22回目は古代ギリシア世界の歴史「市民と奴隷」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ポリスの住民は市民、これに隷属する奴隷に分けられる。さらに市民は、貴族と平民の区別があった。ポリスを守るために戦士として戦うことが市民に求められる義務であったため、それに十分応えられる財がある貴族の支配力が高まるのは当然の流れだった。
交易活動が盛んになると農産物を売って富裕になる平民が現れる。金属の輸入で武具が安価になり、富裕な平民は買えるようになる。さらに戦術として重装歩兵による密集部隊の価値が高まると、戦争における平民の位置づけが高まり参政権を要求した。
女性、ほかのポリスの出身者、奴隷は政治から排除される。特に奴隷は、人格を認められず売買の対象となり、市民との身分差は大きかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第20回目は古代ギリシア世界の歴史「ギリシアの特徴」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
各ポリスは独立した国家で互いに抗争を繰り返した。しかし、同時にギリシア人であるという同一民族意識も強まり自分たちをヘレネス、異民族をバルバロイと呼んで区別する。
重要事項を決めるさい各ポリスは、デルフォイの神託を参考にし、4年ごとにオリンピアの祭典を開き、期間中はいっさいの戦いが禁止された。
西アジアや中国では都市国家から世界帝国に国家が発達したが、古代のギリシアは小国分立状態が続き統一国家は生まれなかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第20回目は古代ギリシア世界の歴史「暗黒時代からポリス形成まで」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前12世紀ごろエーゲ文明は滅亡した。ギリシアは文字史料がない暗黒時代に突入し、線文字も消滅した。約400年間にわたる混乱期に鉄器が普及、フェニキア人の文字が伝わりギリシア文字に発展する。
前8世紀ごろになると、集住(シノイキスモス)により都市国家(ポリス)が生まれる。人々はアクロポリスとよばれる丘に神殿を築き、丘のふもとに広場(アゴラ)を設けて公共施設を置いた。
多くの都市国家が小麦の自給が困難なため植民活動を行う。その結果地中海や黒海の沿岸にマッサリア、ネアポリス、ビザンティオンなどの植民市が建設され、オリエントとの交易が活性化する。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第19回目は古代ギリシア世界の歴史「エーゲ文明2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
19世紀にイギリスの考古学者のエヴァンズがクノッソス宮殿を発見する。クレタ文字(線文字A)は解読されていないので、誰が残した遺跡なのかは分かっていない。クレタ文明の平和は長く続いたが、北方から進入したギリシア人(アカイア人)によって滅びる。
アカイア人についてはトロヤ戦争の伝説が有名である。ホメロスが叙事詩『イリアス』にうたい、これを信じたドイツの考古学者シュリーマンが19世紀にトロヤ遺跡、ミケーネ、ティリンスなどの遺跡を発見する。
ミケーネ文明では線文字Bが使用された。後にヴェントリスによって解読され古代ギリシア語であることが分かる。前1200年ごろ、ドーリア人や「海の民」の進入を受けミケーネ文明は崩壊した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第18回目は古代ギリシア世界の歴史「エーゲ文明1 」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
エーゲ海の島々やギリシア本土南部で成立したエーゲ文明は青銅器文明で「クレタ文明」と「ミケーネ文明」に代表される。
クレタ文明は、前2000年ごろに始まりクレタ島のクノッソスを中心に栄える。宮殿には城壁がなく海洋的な性格であった。
いっぽうミケーネ文明は、前1600年ごろから始まりインド=ヨーロッパ系のギリシア人がギリシア本土で文明を築き上げた。ミケーネやティリンスなど遺跡が有名で、堅固な城塞が存在していたことが分かる。
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