Episodes
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ドイツの詩人、ヴィルヘルム・ミュラーの『冬の旅[Winterreise]』 と題する連作詩の一つにシューベルトが曲をつけたリンデンバウム(菩提樹)の歌。
この曲を例に挙げ、感性とアロマテラピーについて、語っていただきました。
生理的なはたらきと、芸術とが見事に結びついた興味深いおはなしです。 -
トリートメントを取り入れたのアロマテラピーの始祖ともいえ、国際エステティック協会(CIDESCO)の会長を2度もつとめたマルグリット・モーリー女史が座右の書としたのが、ルネ=モーリス・ガットフォセの「Aromathérapie」と
シャバーヌ博士の著書でした。
今回は、マルグリット・モーリーのアロマテラピーと、モーリーの弟子たちについて語っていただきました。 -
Episodes manquant?
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近年、健康立県であったはずの沖縄が、40〜50代の健康が危惧され始めています。
このことを食べ物の習慣とあわせて語っていただきます。
沖縄と山梨県の棡原(ゆずりはら)の例から洋食化の流れを考察します。 -
アロマテラピーの根幹にある植物療法を、とくに食べ物の側面から語ります。
食べることによって体のバランスを回復させる効果は、
その人が育った環境によっても違うかもしれないという興味深い考察もご紹介します。 -
キャリアオイルでの増量剤について語ります。
ツバキ油の増量剤として使われることが多いサザンカ油。
このサザンカ油をキャリアオイルとしてマギー・ティスランドに実際に使ってもらった感想をはじめ、同じツバキ科のお茶の油にまで話が広がりました。 -
〜フィラトフ博士の概念から〜 1週間空けての更新です。 ”トータルな精油を信頼しよう - ジャン・バルネ博士” なんとかして生体を維持する為に、体が分泌するものを バイオスティムリン(biostimulines) と捉えたフィラトフ博士の概念で考えることで、植物に含まれるエッセンスについて理解が深まるといいます。 この概念が、精油に含まれる様々な成分を単体で個別に考えるのではなく、 植物が生み出した成分構成それ自体の「トータルな精油」を信頼してはどうかという ジャン・バルネ博士の主張にも繋がっていくのです。
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マルグリット・モーリーのアロマテラピー:陶酔を見出した源流として アロマテラピーを語る上で外せない人物の一人に、アロマテラピーと芸術の不可分な関係前・後編でも語られたマルグリット・モーリーがいます。 彼女はどのような背景を持った人物で、どのような人物だったのかを掘り下げていきます。 彼女の人物像を通して見ると、現代の「アロマテラピー」を理解する上で理解しておきたいアロマテラピーの3つの源流が明らかになってきます。
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偽和されたアロマテラピーエッセンシャルオイルから身を守る アロマ(芳香)テラピー(療法)という名前から、香りを重視した療法ととらえられがちのアロマテラピー。 この曖昧な部分は、精油を販売する業者に”偽和(精油を増量すること)”する隙を与えてしまってもいます。 香りを重視する観点からは、香りの成分を追加する偽和行為はメリットのあることです。 が、植物本来の成分を期待する場合にはどうでしょうか。 根本的な解決方法として、超臨界流体抽出法で抽出したエッセンシャルオイル(アブソリュート)が高山先生から提案されます。 偽和されたアロマテラピーエッセンシャルオイルを見分けることができるのかどうかも含めて解説していただきます。
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陶酔するNK細胞 アールヌーヴォーの中心地の一つであるオーストリアのウィーンで、マルグリット・モーリーは生まれました。 アロマテラピーと美容を結びつけ、発展させたマルグリット・モーリー。 芸術と医学とアロマテラピーの橋渡しとなったその功績と背景を解説して頂きます。
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魔法のような風に吹かれて ヨーロッパで興ったアール・ヌーヴォー(新しい芸術)の流れ。 高山林太郎先生は、これがなければアロマテラピーは 今とは違っていたものになっていたかもしれないと言います。 セルゲイ・ディアギレフの興したバレエ・リュスなどの、陶酔を求める芸術と アロマテラピーの不可分な関係とは何だったのか、今回はその前編をお届けします。
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信頼できるエッセンシャル(精油)とは 気候やその時々の条件によって、同じ植物でも年々歳々(ねんねんさいさい)採れる成分が異なってくるアロマテラピーエッセンシャルオイル精油。 天然100%であることには変わりなくても、成分を抽出する過程からも質に違いが出てくるといいます。 そんな精油を、特に植物=芳香療法の視点から”信頼できるもの”として選ぶ基準はどこにあるのでしょうか? アロマテラピー中興の祖で医師であるジャン・バルネ博士の「トータルな精油を信頼しよう」という提言。 この言葉は、香りを楽しむ以外で考えると、植物に含まれる成分は個々の成分に関わらず身体にフィットしてくれる可能性を示唆しています。
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揺籃期にある植物療法として 病気になればお医者さんにかかるのは当たり前のことですが、 その中でアロマテラピーはどのようにして活用できるのでしょうか。 東洋には古くから「医食同源」と言う言葉があります。 また、西洋でもギリシャの医師、ヒポクラテスは「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」と言って、食べ物でなくてはなおせない病気があることを説きました。 料理などで食卓でもよく目にする植物から抽出したアロマテラピーは、精油を用いた植物療法と捉えなおすことができます。 揺籃期にある療法、既存のものを補完する療法として、アロマテラピーの可能性を探ります。
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従軍医師としてのジャン・バルネ博士 アロマテラピーの中興の祖である、ジャン・バルネ博士。 ジャン・バルネ博士は従軍医師としてインドシナ戦争などに従軍し、 多くの負傷兵の治療に当たりました。 ものの本によればその従軍中にティートゥリーなどのエッセンシャルオイルを使って 負傷兵の治療にあたったとありますが、実際のところは一体どうだったのでしょうか… 高山林太郎先生が、豊富な知識を背景に当時の戦線の状況も解説していきます。
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アロマテラピーの語源について 調香師 ルネ=モーリス・ガットフォセ(René-Maurice Gattefossé)によって、 ラテン語で香りを意味する「aroma:アロマ」とギリシャ語系統のラテン語に起源を持つ、 療法を意味する「thérapie (therapīa):テラピー」とを組み合わせて世に紹介された 「Aromathérapie:アロマテラピー」。 「Aromathérapie」を「芳香療法」、「アロマテラピー」という日本語に訳して紹介した、 まさにその人である翻訳家の高山林太郎氏。 その語源と、そこから発展したアロマテラピーの実際との間には 誤解されがちな部分があると語る高山氏。 AromathérapieはなぜAromathérapieとして生まれたかも含めて、 語っていただきます。
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ルネ=モーリス・ガットフォセの火傷事件とラベンダー精油の真相について 実験中に追った火傷をラベンダーの精油で治し、それをきっかけにして精油の効果を研究していったフランスの化学者、ルネ=モーリス・ガットフォセ氏。 1915年に起こったこの火傷事件の後、10年以上経って1928年に学会でこの研究成果を発表し、そこでアロマテラピー(芳香療法)という言葉が世に広まりました。 この、近代アロマテラピー史を語る際に欠くことのできない火傷事件について、ルネ=モーリス・ガットフォセの孫娘モアランさんから直接事実関係をきく機会を得た高山林太郎先生。 ガットフォセの火傷事件を世に広めた原典であるジャン・バルネ博士の著書を翻訳した高山先生が語る、その真相とは一体どのようなものなのでしょうか。 ※一般に伝えられているルネ=モーリス・ガットフォセの火傷事件 1920年代初頭、南フランスのプロバンス地方において、香料の研究者であった ルネ・モーリス・ガットフォセ(1881年-1950年)は実験中に手に火傷を負い、とっさに手近にあったラベンダー精油に手を浸したところ傷の治りが目ざましく良かったことから、精油の医療方面での利用を研究し始めた。彼は1928年に研究の成果を学会で発表し、また『芳香療法(原題Aromatherapy)』という本を出版した。 - wikipediaより引用
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精油とは何か 日本でのアロマテラピー黎明期から、ジャン・バルネ博士、ロバート・ティスランド、マルグリット・モーリーなどの著作や精油辞典など、30冊以上もの書籍の翻訳や執筆を手掛けた、髙山林太郎氏。 アロマテラピー(Aromatherapy)を「芳香療法」という日本語に翻訳した本人でもある高山氏が、誰も言わなかったアロマテラピーの本質に迫ります。 第一回目は、字義どおりにとらえると「原油精製する」という意味になる「精油」についてEssence(エッセンス)とはそもそも何であるのかという基礎的な部分から語っていただきます。