エピソード
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駐在生活は日常の努力が「移動」の一言で水の泡になる。そのショックを受けたくなくて理想の未来を思い描かなくなった。でも、私は変わりたかったんだ。そのきっかけになったのは「他人」だった。
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駐在妻になると家にいる時間も増えて、自分のことを考えることが多くなる。私はポジティブとネガティブを行ったり来たりしながらこのタメ口ラジオを作ってきたけれど、時々疲れて動けなくなることもある。それも隠さずにあなたに伝えてどうしたらいいかも提示していきたいと思う。
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エピソードを見逃しましたか?
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駐在妻になって母になって会話する量が格段に減った。いつしか私は言いたいことを言葉にすることができなくなっていた。本当は会話の量が問題だったのではなく、押し殺していた気持ちを口にしないようにしていたから、いざ言葉にしたくても正確に話すことができなかったんだ。それは駐在妻や母と言う立場のせいではなく、誰しもに起こる現象。自分を認めたくても認められない時、相手に伝えたくても伝わらない時、まずは押し殺している気持ちに気づいてほしい。
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駐在妻生活はとても幸せだったけれど、自分を全開にすることができなかった。私の熱量を受け止めてもらえないことが怖かったから。
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駐在妻になったら、いろんな人の目が気になるようになった。世間、現地の人、会社、夫、子供、両親、ママ友、同じ立場の駐在妻の目…がんじがらめになって、自由を失った。
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駐在生活が長くなり歳を重ねた自分の変化に恐怖した。内面を磨くしかない。でも、内面をどうやって磨いたら、磨いたことになるのかわからず絶望した。
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駐在生活で新しいことをしなくてはという強迫観念があった。今の自分から抜け出したい、外国にいることを自分のプラスにするには、何か新しいことをしなくてはいけないのだと信じていたから。
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駐在妻で専業主婦である自分を受け入れられなかった。社会でバリバリ働いている人よりも家事しかやっていない自分の価値が高いとは思えなかったから。
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駐在妻、主婦の世界は、枠が合ってないようなもの。生き方も考え方も多種多様な人たちと、希望してもしなくても付き合っていくのが駐在妻の人間関係だ。そんな関係の中で、自分の人生、将来について悩んだ時、誰に相談していいかわからなかった。
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駐在妻になって素直になれなかった。人からの声も夫からの親切も、素直に受け取れず、心がどんどんひねくれていく自分が嫌だった。
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私はこれができますと公言する駐在妻に会ったことがない。人から見ればできることも、できると認めてはいけない謙遜文化。あなたの「できる」をこの国で、あるいは日本で求めている人が必ずいる。
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駐在妻は暇で仕方ないときと目がまわる忙しさの落差で疲弊する。こんなに動いているはずなのに、心が立ち止まって行き場を失った。私の未来は真っ暗になり、ただ涙しか出なかったんだ。
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駐在妻になって気を張っていた。外国でマイノリティになる私。新しい人間関係でも舐められちゃいかん。肩肘張って必死に弱みを隠した10年だった。
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駐在妻生活でモヤモヤしている中で、歳を重ねることも恐怖だった。何も得られない、むしろ、失い続けている気がしてただ進んでいく人生に希望が持てなかった。
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日本人だけで固まって話す時間が無駄だと思っていた。駐在妻でつるむことを極力避けていたら、人生詰んだ。
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駐在妻は家庭を支えるために外国にいる。だからって良い妻、良い母でいろというのはお門違い。我々ははくすぶる心をどうやって抑え込むかに必死なんだから。
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大したことをしていない駐在妻。そんな自分が嫌だった。だから、私は駐在妻なんかにならない。いつもはすに構えて、駐在妻を外から眺めているつもりだった。
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キャリアを中断して海外に来る駐在妻。仕事に復帰さえすれば、すべては丸く収まると思っていた。本当の問題は、もっと根深いものだったのに。
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外国語ペラペラでしょ?海外経験を活かさなきゃね?この生活から何かを得なきゃね?私たちの現実はそれどころじゃないんだよ。
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駐在妻は、狭い世界で依存関係になるのではないかと大きな偏見を持っていた私。現実はいかに⁈
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