Episodi
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第48回目はヨーロッパ世界の形成「ゲルマン人1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
バルト海沿岸を原住地とするインドヨーロッパ系のゲルマン人は、先住民のケルト人を圧迫する。紀元前後にはライン川から、黒海沿岸にいたる広範な地域に拡大。ローマ帝国とライン川、ドナウ川で接するようになる。
大移動前のゲルマン人については、カエサルの『ガリア戦記』やタキトゥスの『ゲルマニア』に記されている。部族ごとに王や数名の首長が統率し、貴族と平民の成年男子全員が参加する民会が政治の最高機関であった。大移動前にもローマ帝国内に傭兵や官吏(かんり)、コロヌスとしてローマに平和的に移動する者もいた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第47回目は古代ローマの歴史「キリスト教2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
増え続けるキリスト教徒を取り込むほうが得策と考えたコンスタンティヌス帝は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認して迫害を停止する。
さらに教義論争に介入して325年にニケーア公会議を開催、後に三位一体説を確立するアタナシウス派を正当とし、アリウス派を異端とした。
392年テオドシウス帝の治世にキリスト教は国教となる。
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Episodi mancanti?
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第46回目は古代ローマの歴史「キリスト教1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
1世紀はじめ、ローマの属州となっていたユダヤでは、貧富の差が拡大していた。イエスは、ユダヤ教の選民思想や形式主義を批判し、神への愛を説いた。危機感を抱いたユダヤ人支配者層は、総督ピラトゥスを利用してイエスを十字架刑に処した。
その後、イエスは復活したという信仰が生まれ、キリスト教が成立。2世紀末ごろまでには『新約聖書』の主な文章が成立し、ユダヤ教の旧約聖書と並んで教典(きょうてん)とされた。
ネロ帝以降は迫害され、多くの信者が殉職。ディオクレティアヌス帝による皇帝崇拝を拒否したので、迫害から逃れるため信者はカタコンベ(地下墓所)などで礼拝を行った。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第45回目は古代ローマの歴史「古代ローマの滅亡」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
395年にローマ帝国は東西に分割された。西ローマ帝国はゲルマン人傭兵隊長のオドアケルにより皇帝は退位させられ476年に滅ぶ。その後も東ローマ=ビザンツ帝国は約1000年存続したが、オスマン帝国により1453年に滅んだ。
ローマ帝国滅亡後も、ヨーロッパでは「神聖ローマ帝国」が西ローマ、「ロシア帝国」が東ローマの皇帝権を継承したので、ローマの理念は長く生き続けることになる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第44回目は古代ローマの歴史「テオドシウス帝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
375年フン人に圧迫された西ゴード人は南下を始める(ゲルマン人大移動の開始)。翌年ドナウ川を渡ってローマ帝国に保護を求めた。帝国の対応が過酷であったため、人々が反乱を起こす。鎮圧に向かった東ローマを支配する皇帝ウァレンスが、378年アドリアノープルの戦いで敗れ命を落とす。
軍事司令官の1人だったテオドシウスが皇帝となり、388年に東西を統一して単独皇帝となる。392年帝国を安定化させるためにキリスト教を国教化したが、395年帝国を東西にわけて子どもに相続させた。これ以降、帝国が統一されることはなかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第43回目は古代ローマの歴史「コンスタンティヌス帝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ディオクレティアヌス帝により帝国は安定化したが、彼の引退後に四帝分治制が機能不全に陥り帝国が分断される。西の正帝だった父をもつコンスタンティヌスが再統一して単独皇帝となる。
313年、ミラノ勅令でキリスト教を公認。それまでキリスト教徒は皇帝崇拝を拒否したので迫害されていた。逆境の時代だったが信者の数が増え続け、帝国も無視できない存在になっていた。
コンスタンティヌス帝は軍隊を増強して安定化させようとする。資金を集めるためコロヌスの移動を禁止して税収入を確保したり、住民の職業を固定化して世襲させたりしている。
330年にビザンティウムに遷都してコンスタンティノープルと改称する。純度の高いソリドゥス金貨を発行して信用を得て、東方地域では経済活動が活発化した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第42回目は古代ローマの歴史「ディオクレティアヌス帝」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
3世紀後半、ディオクレティアヌス帝は帝国を東西に分けて、それぞれ正帝と副帝の2人が統治する四帝分治制(テトラルキア)を敷いて混乱を収束した。
中央集権的な官僚制を導入して徴税を強化した。元老院は事実上廃止され、皇帝を神として礼拝させ、オリエント風の専制君主の性格を強めた。彼は臣下に「ドミヌス(主人)」と呼ばせたので、以降の後期帝政をドミナトゥス(専制君主政)と呼ぶ。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第41回目は古代ローマの歴史「3世紀の危機」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
193年属州民出身の軍人セプティミウス=セウェルスが即位する。212年、彼の子であるカラカラ帝は帝国内の全自由民にローマ市民権を与えた。
3世紀になるとササン朝やゲルマン人の侵入が相次ぎ、ローマ帝国は危機的な状況に陥っていた。軍事費を維持するために貨幣の質を落とし、都市への課税を繰り返していた。経済活動は低下、疫病の流行も重なり帝国を支えていた都市が衰退する。
3世紀半ばには軍隊の推挙により皇帝が選出される軍人皇帝の時代となる。経済活動の低下、治安の悪化、外敵の侵入など混乱が続くなかで、市民軍は傭兵中心の軍隊に、ラティフンディアはコロヌス(小作人)を労働力とするコロナトゥスへ移行した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第40回目は古代ローマの歴史「ローマの平和2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ローマの平和と呼ばれた時代、首都ローマを起点に道路や海路が整備され帝国の属州各地から優秀な人材や物資が集まった。法律や貨幣、度量衡も統一され帝国全土を結びつける遠隔地商業ネットワークが形成される。
ローマの平和は、思わぬ形で景気の悪化を招いた。ローマの主な輸出品であるオリーブ油やブドウ酒は奴隷をつかった大農園で作られていた。(ラティフンディア)
ローマが平和になり戦争捕虜が減少、同時に奴隷も少なくなった。属州の経済的自立とのダブルパンチで輸出量が減少、税収がダウンする。ローマの軍事費は多いときで国家財政の半分あったが、税収でまかなうことが厳しくなっていた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第39回目は古代ローマの歴史「ローマの平和1」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
帝政の開始から五賢帝時代までの約200年はローマ帝国の最盛期とされ「ローマの平和(パクス=ロマーナ)とよばれ、政治は安定し、経済的にも反映した。
五賢帝は順にネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの5人をさし、特にトラヤヌス帝の時代にダキアとルーマニアを征服し領土は最大になった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第38回目は古代ローマの歴史「アウグストゥス」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
紀元前27年、オクタウィアヌスは元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号が授与され、事実上の帝政が開始された。彼は元老院を存続させるなど共和政の形式を尊重し、市民のなかの第一人者(プリンケプス)と自称する。
しかし、執政官や護民官、全軍団の最高司令官などを兼任して、全政治権力を手中におさめた。事実上の皇帝独裁であった前期帝政をプリンキパトゥス(元首政)とよぶ。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第37回目は古代ローマの歴史「第2回三頭政治」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
カエサルの暗殺後、彼の養子であるオクタウィアヌス、彼の部下だったアントニウスとレピドゥスにより第2回三頭政治が行われる。
プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラは、アントニウスを後ろ盾にしようと画策する。アントニウスは彼女の虜となりローマに戻らなかった。この間に、レピドゥスが失脚し、残った2人の対立構造が鮮明になる。
紀元前31年、オクタウィアヌスは、プトレマイオス朝エジプトに宣戦布告、アクティウムの海戦で破り、クレオパトラとアントニウスは自殺する。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第36回目は古代ローマの歴史「第1回三頭政治」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
紀元前60年、元老院が支配する体制の限界を感じたカエサルは、ポンペイウス、クラッススと手を組み第1回三頭政治を開始した。しかしクラッススがパルティア遠征で死亡すると、パワーバランスが崩れる。
ガリア遠征でカエサルがローマにいない間にポンペイウスは元老院と和解する。国家反逆罪で裁判にかける知らせを受け取ったカエサルは、遠征軍を解散せずにルビコン川をわたりポンペイウスを倒す。
その後、独裁官をはじめとする要職を独占し、元老院を無視して改革を行ったため前44年に暗殺された。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第35回目は古代ローマの歴史「グラックス兄弟と内乱の1世紀」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前2世紀後半、護民官に就任したグラックス兄弟は市民軍の再建を目的とした改革を行う。
貴族による土地占有を制限し、土地を無産市民に分配しようとしたが元老院の反対にあう。
改革が失敗に終わると「内乱の1世紀」に突入。貴族による閥族派のスラと無産市民に支持された平民派のマリウスが指導権をめぐって対立する。
イタリア半島の同盟諸都市はローマ市民権を要求して同盟市戦争が勃発。また剣闘士(けんとうし)によるスパルタクスの反乱などローマへの反乱が続発した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第34回目は古代ローマの歴史「ローマ社会の変容」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
イタリア半島統一、地中海制覇とローマが拡大する中、イタリア半島以外の征服地は属州として直轄支配を行う。そこに赴任した貴族の中には、戦争捕虜を奴隷として使役したラティフンディアの経営に成功するものや、平民の中には属州での徴税請負で大きな富を得た騎士階級が出現した。
一方、重装歩兵として活躍した中小農民の多くは長期にわたる戦争で疲れ農地は荒廃、属州からの安価な穀物の流入により没落する。無産市民となって首都ローマに流入し、有力者は彼らに小麦や娯楽を提供して支持基盤を作る。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第33回目は古代ローマの歴史「カルタゴとの戦い」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前3世紀前半、ローマはイタリア半島を統一する。反抗を防ぐため諸都市とそれぞれ内容の異なる同盟を結ぶ分割統治を行った。その後、西地中海の覇権を巡りフェニキア人の植民市のカルタゴと衝突する。3回にわたるポエニ戦争は、カルタゴ側の将軍ハンニバルに苦しめられながらも、最終的にローマが勝利する。
前2世紀半ばにカルタゴは滅亡、さらにヘレニズム諸国も征服。前1世紀後半には地中海全域に領域を広げた。
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今後の配信についての2つご連絡があります。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第32回目は古代ローマの歴史「身分闘争」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
平民(プレブス)が貴族に対して政治参加を求めて身分闘争を起こした。前5世紀初めに平民の権利を守る護民官が設置され、平民会の議長を務めた。前450年ごろにはローマ最古の成文法である十二表法も制定された。
前367年には、コンスル2名のうち1名を平民から選出することを定めたリキニウス・セクスティウス法が、前287年には平民会の決議が貴族をも拘束する国法となることを定めたホルテンシウス法が成立し、身分闘争は終結する。
平民と貴族は法の上では平等となったが、執政官を務めた上層平民と貴族が融合して新貴族を形成し、元老院が指導権を維持し続けた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第31回目は古代ローマの歴史「共和政ローマの誕生」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前1000年ごろ、古代イタリア人が北方からイタリア半島に南下して定住する。ローマは前8世紀半ば、イタリア人の一派であるラテン人によりティベル川の東に都市国家として成立した。川の西に住むエトルリア人の勢力が強まり、一時期支配されたが前6世紀末に王を追放し、共和政が開始される。
最高政務官である執政官(コンスル)は任期1年で2名選出された。最高機関である元老院は300人。非常時には独裁官(ディクタトル)が任命された。
全ての官職を貴族(パトリキ)が独占したので、後に中小農民が重装歩兵として軍事力の主力となると対立するようになる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第30回目は古代ギリシア世界の歴史「マケドニア」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前338年、バルカン半島中央部のマケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテネ・テーベの連合軍を破り、ギリシアを制圧した。
フィリッポス2世はスパルタを除く諸ポリスとコリントス同盟を結成してギリシアの掌握に努めたが、暗殺された。
子のアレクサンドロス大王は前334年東方遠征を行い、アケメネス朝ペルシアを滅ぼして、ギリシアからインダス側の流域にいたる大帝国を建設した。
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